先日、美術館(ホール)に映画を観にいって
ついでに本館の「年間パスポート」を買った。
「これで美術館主催のイベントは
1年間無料で観られるんですね。
同じもの、もう一度観たりとか」
「そうです。でも…
もしも「長寿手帳」をお持ちなら
それだけで、美術館主催のものは
ずっと同じようにご覧になれますよ」
「長寿手帳」って、あの何年も前にもらって
「後は写真貼るだけ」のまま
放置してるアレ?
どうしようかな…
考えてるわたしの方を、窓口の方は
なぜか気の毒そうに見ている。
「いいです。やっぱりパスポート
作って下さい」
館員さんは、ほっとしたように
申請書の用紙を出してくれた。
でも、このときのやり取りに
案外時間がかかったらしい。
その日のうちに、ちょっとだけでも
覗いてみようと思って
その場でチケット(無料)をもらった
フィンランドのガラス展は
時間が足りなくなって、見るのをやめた。
その後、目的だった自主上映会の映画を観て
その帰りがけにも、ガラス展のチケットが
今度はバッグの中で見当たらなくなって…
結局、その日はガラス展は観なかった。
家で落ち着いて探したら
チケットは当然、ちゃんとあった。
なぜこんなモノを
長々書いてるかというと…
美術館の窓口の方には、わたしが
「話がよく理解できてないらしい」とか
「行政からの『長寿手帳』(無料)と
自前で費用を払う『年間パスポート』の
どちらが得か、考えている?」
という風に見えたのかもしれない。
実際は(さすがに)そうではなくて…
わたしは『長寿手帳』なるものを
なぜか使いたくないのだと思う。
理由は自分でもわからない。
(公営プールが無料になるなど
使い道は色々あるらしい)
でも、そのことを自覚してなかったので
咄嗟に返事できなかった。
わたしはソモソモ「外出しにくい」人だ。
「うつのクマ」と「化学物質過敏」で
外出できる元気さに、なかなか届かない。
化学物質過敏症モドキの10数年の間に
オシャレとはほぼ縁が切れた。
髪のカラーリングやメイクどころか
日焼け止め程度も安心して使えない。
買ってすぐ着られる衣類はまずない。
クリーニングが必要なモノなんて論外。
公共交通機関に乗るのは負担が大きく
旅行も、余程の理由がなければしたくない。
「旅」は好きでも、実際は出来ないのだ。
そんな生活をずっと続けてきたので
私個人は「あまりお金がかからない」人に
なってしまったと思う。
(「うつ」も「化学物質過敏症」も
病院にはかからずに来た)
なので、別に裕福なわけじゃないけど
たまに外出した時に、多少のお金がかかっても
「外に出て楽しかった」だけで十分。
特に節約する気もないし
大体、そんなにお金のかかる趣味もない。
なのに、美術館で妙な誤解?を受けたのは
わたしが「相手に合わせて返事をしていた」
せいだと思う。
言わなくてもいいことを
自分からわざわざ言ったのも。
最初から、スッキリはっきり
「年間パスポート下さい」
それだけでよかったのに。
こういう時、わたしは自分が
ちょっとイヤになる。
相手にどう思われようと構わないはずの
こういう場合に限って
わたしは相手に合わせてしまう。
顔色を見るようなことをしてしまう。
もっと大事な場面では
今のわたしなら、自分の言いたいことを
単刀直入に口にすると思う。
ちょっときつ過ぎると思われるような
言い方でさえ、必要と思えばする。
なぜか、こんな「どーでもいい」場面でだけ
覚束なげな?自分が顔を出すようで
ナサケナイし、後味もよくない。
(どんなときも相手の機嫌を取らなきゃいけないって
どこかで思い込んでるのかなあ)
・・・というような
われながら不可解な言動に
自分でゲンナリすることが、最近増えた。
後からモヤモヤが残るので
こういうことは、できれば避けたい。
でも、なぜかよくある。
ほんとうによくある。
これも老化のせいなのかなあ。
だとしたら…
「年を取る」って
ほんと~~~~~に
メンドクサイことだと思う。
(2024年4月26日 書いて放置)